中学受験の思い出話

はい、皆様こんばんは。
突然の暖かい穏やかな天気になり、あれ今日セーターいらないんじゃない?と思って着ずに出勤したら、夜は普通に寒くてカタカタしている松尾です。

日中はアウターを着ずに出歩けるほど暖かかったんですけどね…
これじゃスキー場の雪溶けちゃうじゃないか!ふざけるな!なんて心の底でぼやいていたのが悪かったんですかね。

さてそんなこんなで受験シーズンも折り返し地点になってきたのかなと。

なにがそんなこんななのかは私も知りませんわかりません。

都立推薦入試が終わり、私立中受が終わりに向かいつつあり、私立大学一般入試も終わりが見えてきていますからね。
もちろん、都立一般入試を含め、国公立大学入試等々まだまだ受験シーズンは続きますが…

残っている方はまだまだあきらめず、最後の最後まで少しでも伸ばすもの伸ばしていってください。
私も現役高三の時は国公立受験があったのでこの時期も予備校通いしてましたね…
懐かしい。

さて、中学受験。

私事、というか、身内話で失礼しますが、私の従弟が今年中学校受験をしまして。
あ、とても歳の離れた従弟がいるんです、私。

合格こそ決められたものの、何度か不合格を経験したらしく、不合格がわかったときは悔しさで口もきけなかったんだよー、みたいな話を実家から聞きましてね。
ほほう、そんなに頑張ってたのか小僧!えらい!!と(笑)

私も中学受験をする予定(というより、親がさせる気満々だったそうで)で、小学校中学年あたりから必死に毎日勉強していたわけですが、結局受験せずエスカレーターで上がってしまったので、笑って聞いてたら実母になにヘラヘラしてるの、と怒られました。

今にして思えば経験として中受もしてみたかった気もします。
一通り植木算だのつるかめ算だの旅人算だのやりましたからね…
いわゆる特殊算といわれる、中学校以降の知識をなんとか小学生程度で解決しようというやつですね。
さすがに微分積分をやる、なんてことはありませんが、方程式とか等差数列の和とかは小学生でも解けちゃうんです。
正直、小難しい高校数学を暗記公式にいかに早く当てはめるかを考えるより、はるかに楽しい(誰にも理解されない)!
今は教育課程も変わり、小学生でも平然と文字を使っていいそうなので、記号と図を駆使して四苦八苦することも少なくなったのかぁ、と寂しい気持ちになっております。

確かに、効率やその後のことを考えると(特殊算なんて中学校以降廃れていきます悲しい)、小学生の段階で先取り予習かねて公式を覚えさせてしまえばいい、んですが。
一通り修めて、概念も理解していた(つもり)の私は、特殊算の考え方、見方を知っていることこそが大切だ、と思っています。

自慢じゃないですけど、当時は慶応附属にいい判定出てたくらいには頑張ってたんですよ!
算数だけですけど。算 数 だ け で す け ど も!(血涙
文系科目はてんで覚えられなくて、泣きながらノートに書き取り、終わるまでお夕飯にありつけないなんてしょっちゅうでしたけどね…
昔から単純暗記が苦手だったんですね…

閑話休題。

子どもたちの永遠の謎、こんな知識いつ役に立つの、への回答じゃないですけれども、特殊算なんて繰り返しになりますが、それ自体はなんの役にも立ちません。
流れのはやいこのご時世、チマチマと特殊算使っていたらとうに置いてけぼりです。

ですが、物事を捉えるとき、非常に多角的に、色々な視点から見ることができるようになったのは間違いなく、特殊算を駆使していた、あるいは駆使しようとしていた経験から来ている、私はそう思っています。

具体的にどうこう、というのは当たり前のことながら表現しづらいのですが(大人の逃げ文句といっても過言ではないですが、これ事実じゃないでしょうか…)、必死にあぁでもない、こぅでもない、と問題用紙をぐるぐる回し、計算スペースとにらめっこし、こっちのやり方はなんでだめなんだろう、これってこうしたほうが早いんじゃなかったのかな、と、グールグール思考していたすべての経験が、役に立っていると思っています。

まぁ、つまり、特殊算”だけ”が役立っているわけではないのでやっぱり難しいものなんですけれども。
ただ、それも一つの引き出し。

徐々に言っていることまでぐーるぐるしてきましたが。(私がお得意のやつですね(文章力不足

先の多角的に物事を捉える、というのはざっくばらんに言えば、いかに多くの引き出しを持っているか、ということにもつながってくると思います。
最適解を最良の公式にあてはめ最速で求めるということも大切ですが、多種多様な角度を持つためには、それ”だけ”では事足りません。
そして、こう見てみよう、と思うにはその見方ができることを知っていなければ、視点に立つことさえ難しい、というのは想像に難くないでしょう。

スタート地点とゴール地点が決まっていたとします。
事前にコースを何度も通った人は、右から回る道、左から回る道、地下を通る道、いろいろと知っています。
現代風にナビで最短経路を調べた”だけ”の人はその道しか知りません。(ナビは俯瞰しているからうんたらかんたらの話はいったん置いておいてください)
最短経路がもちろん、ベターでしょうけれども、もし渋滞していたら?もし工事してて通行止めだったら?
たどり着くことができるのは前者ですよね。
(渾身の例え

で、まぁ、但し書きじゃないですが、こういう時世の中は俯瞰しなさい、俯瞰できる人間になりなさい、といいます。
しかし、俯瞰できる人間になるにはナビを持っていなければいけません。
そもそもナビを作るにはやはり地道な下見が必要でしょう?

え、現代はスマホがあるからそんな時間かかることはしてられない?

それも一理あるから難しいわけですけれども…
おっしゃる通りで、そういった現代的なツールの駆使も重要なスキルに含まれてくるご時勢ですからね。
いやでもほら、モノの例えだし。っていうかスマホ持ち出さないでください(自分から言い出しておいて…

相変わらず冗長な言い回しが大好きな私ですが。
要するに、いまやってる勉強の一つ一つがそうした下見だと思っておくと精神衛生上健康的なんじゃないですかね。
いつも使っている大通りが通行止めになることなんて滅多にありません。
ですが、もしなったとき、そこで足止めを食らうのか食らわないのか。
足止めされても是とするのか否とするのか。
そしてそれを大きな障害と考えるのか小さな障害と考えるのか。
こうしたことが世の中で言うところの勉強をしておくメリットじゃないですかね。

そして、ちょっと教育業界らしいことをいうなれば、そういった道をたくさん知っている案内人こそが教育者としては秀でているのでは、と思ってしまいます。
これまた道と案内人を引き出しますが、コースをいっぱい知っている人と一本道しか知らない人であれば、多く知っている人についていくのが常でしょう…
そうした意味では、小学校時分に駄々をこねる私に延々付き合ってくれていた両親、中学校以降の恩師各位、塾、予備校の先生方には感謝が尽きません。
あ、この話も長くなりそう。話っていうか謝辞で…
両親はもちろん、小学校のK先生、中学校のT先生にー、M先生もー、高校だとやっぱりU先生とか…
まだまだ私自身、引き出し不足、知識不足に経験不足、とてもとても比肩できるなぞとは自惚れられませんが、少しでもこうした恩師の先生方に追いつけるよう精進していきたいと思います!


…あれ、中学受験の思い出話どこ行った…?

というかですね、ここまで読んでくださった方は気づかれたと思いますが。
結局中学受験自体はせず仕舞いでしたので、思い出もなにも中学受験するために勉強した思い出、が正解でしたねあっはっは(*’▽’)

失礼しました…

まぁ、後半の方、勉強することの話にもっていったし本日はこの辺でご容赦ください!

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