こんばんは、副室長の松尾です。
今日も日常的な話題でも記事にしようかなぁ、と思っていましたが。
たまには私からも勉強に関する話題に触れようかと思いまして。
教育の現場でよくある質問が、単語とかの単純記憶のやり方について、ですね。
よく言われる二つが、書いて覚える、見て覚える。
私を始めとして、多くの方が単語は何回も書いて手で覚える!というのではないでしょうか。
世の中には批判的な記事や意見も少なからずあると思いますが、この書いて覚える手法、昔ながらの王道パターンですよね。そして私もどちらかというと、この手法に肯定的な意見の人間です。
一方、見て覚える、という手法、非常に楽、というか楽そう、に見えますよね。
画像記憶、とか、瞬間記憶、とか言われるものにあたると思いますが、子ども達から人気(?)なのは、こっちです。
人気、に疑問符が付くのはどうにもそういい張っている子が多い気がしてならない現場目線かもしれませんが…
記事の書き方からもお察しいただけるかと思いますが、私はどちらかというと否定的です。
この二つのやり方、正しく言えば否定も肯定も、その人にあったやり方、ということになりますので、言い方が不正確かもしれませんが、そこは大目に見てください。
というよりも、論じたいのはそういうことではないので…
と、まぁ、まとまらずにここまで来てしまいましたが、本論です。
非常に面倒で、時間も労力もかかる”書いて覚える”の良さを少し知ってほしい、というのが今回の話題です。
当然のことながら、自分が当事者のとき(中高生のときですね)は、私も書いて覚えるなんて嫌いで仕方ありませんでした。
書くことに何の意味があるんだろう?
手で覚えるって、手に脳みそがついてるわけでもなし、できるわけないじゃないか。
なーんて、思ってました。
ですが、この年になって、というか、これまでの過程で気づくこともあるんです。
よく、子ども達に話すのは、ピアノの話です。
私は、姉の影響で幼少時からピアノをずっと中学卒業まで習っていたので、ピアノ経験者の子たちにはよく話します。
ピアノをやったことなくても、例えばソプラノリコーダーとかアルトリコーダーとかの楽器。
楽器でもピンとこなければ、パソコンのキーボードの打鍵でも。
もっと言ってしまえば、日常的に文字(もちろん日本語で構いません)、言葉をしゃべるときを思い浮かべながら考えてみてください。
少々、例が長くなってしまいましたが。
要するに、弾くとき、打つとき、書くとき、しゃべるときに何か意識しながらやっていますか、という話です。
ドの音の次はミの音だから、親指から中指を動かして・・・
なんて考えながら弾いてる人、いませんよね。
しゃべる時もそうです。「今日の夕飯はオムライスなんだー」って話をするとき、今日っていうためには口を『Kyo』の音が出るようにして、伸ばし棒だから息吐いてーって、考えることないですよね。
じゃあなんでこんなことできるのか、って考えてみると、何度も何度も反復してきているからですよね。
ピアノも発表会までに1日1時間以上、何十日も同じフレーズ、同じ曲を繰り返し弾き続けますよね。
言葉を今ほど満足にしゃべれるようになるまでに何回も同じ音、同じ単語を繰り返ししゃべってきましたよね。
反復って、これほどの意味があるんだ、というのはこれでわかっていただけるんじゃないでしょうか。
唯一違う、というか、勝手が違うのは、楽しいか楽しくないか。
自分にとって必要か、必要ではないか、ですかね笑
ピアノは私も少なからず好きで弾いてましたし、しゃべる、書くは覚えないことにはもはや日本人として生きていくのに難がありますからね…
それに比べると確かに英語の単語を何個覚えたからどうの、漢字をどのくらい書けるからどうなの、って思ってしまうのは分からなくありません。
これまた、私もそうでしたしね。
っていうか、中高生の皆さんが思っていることは、当然ながらその道を通ってきた私も同じことを考えていましたよ!
というわけで、次回あたりはなにがどう役に立つの、っていう話を少し議論できたらな、なんて思ってます。
はて、レゴ®クラスの紹介ですか。
もちろん、忘れていませんよ。もちろん。
なんなら、紹介したい作品の映像とか撮り溜めてはいるのですが、少し編集を加えてあげたり、長さを調整したりしないといけなくて大変なんです…
ちょっと、ちょっと待っていてください・・・
とにかく、です。
繰り返しには意味がある。
反復練習はあとで功を奏する。
ありきたりですが、これだけはなんとなく理解して、
なんとなく、実践しておいてください。
やるだけ価値のある行為ですよ!
というあたりで、本日はこのあたりで。
ちょっとまとまりに欠けてしまいました。
あとで編集しておこう・・・←