珍しく朝勤な松尾です、おはようございます。
さて、昨日の高木の記事通り、本日より冬期講習会となりました。
冬期講習初日、一つ目の授業から私は高校3年生の難関私立現代文(要約が主)の授業でして。
朝から現代文はお腹がすきますね、まったく。
話題も重たいせいで増々お腹がすきますがんばれ私。
というわけで、現代文を隣で読んでいて思ったことをちょっと。
昨今、若者の読解力の低下、が一部で騒がれています。
OECD諸国が参加するPISAなるもので大幅に順位が下がったのどうのこうの、というやつですね。気になる方は、『読解力 低下』とかで調べてみてください。
まぁ、一つの指標に過ぎませんし、何を以て読解力とするのか(一番各所で議論されてますが)、下がったとはいえ前回結果と比較しての話に過ぎないし、テストの内容も毎度異なるのを一概に比べられるのか、まぁ様々あると思います。
個人的にもそもそも言語や文章文化が全く異なる異国間の比較に果たしてどこまで意味があるのかと思わなくもありません。
ですので、あくまでこの業界に身を置くものとしての主観ではありますが、
やはり読解力の低下は起きていることと思います。
それなりに教育に携わってきているとは思いますが、先日御引退された恩師を始めまだまだ先達には遠く及びませんし、ましてや国語が専門の講師でもない私ですが…
そんな私でさえ、肌身に感じるということは、という考え方もできるのではないでしょうか。
国語を教えていても感じますし、英語でも感じます。殊、痛感するのは意外にも数学。
文章題はもとより、そもそもの問題文を理解できていないことも間々あります。
さておき。
読解力ってなんなんでしょうね。
読み解く力。
読む、だけならだれにでもできるでしょう。
無論、難読字やら当て字やらはある程度の”漢字力”が求められるのやもしれませんが、まぁ概ね「文字から音にする」ことくらいならおそらく誰にでもできることです。
問題は、解く。
無機的な文字の羅列を単語単位に区切り、単語同士をつなぎ文節とし、文として理解し、段落として把握し、文章を解く。
ここまでが読解力、なんでしょうねきっと。
そしてそれを自身の知識、血肉としたとき国語になるんだろうなぁ、なんてカッコイイことをかんがえてもみましたがまぁ、それはどうでもいいや。
つまるところ、読むだけでなく理解しなければならない、といったところでしょう。
これが、できなくなってきている。
先の通り、読”解”には複数のステップが必要です。
先ずは、
『単語を区切る力』
次いで、
『文節として理解する力』
そして、
『文として理解する力』
最後に、
『内容を覚え文章として理解する力』
といったところですか。
単語を区切るくらい、誰だってできるでしょう、と思われますか。
そうでもないんです、これが。
文章を音読してみると力がどのくらい備わっているのかがよくわかります。苦も無くすらすらと読めれば素晴らしいものです。
無論、舌が回らない、ということもあるでしょうが、噛んじゃった、というのは怪しいところです。瞬時に字面から単語、単語から音までが変換できていない可能性がありますからね。
んま、その筋の方からすれば音読がいかに難しい動作で、いかに高尚な動作なのかは言うまでもないと思いますが。
そんな音読。
教室に来ている生徒さんに音読してもらうと、先ずすらすらと文にはなりません。
最たる原因は、言葉を知らなさすぎること。
次いで、速く読もうと飛ばし飛ばし見てしまうこと。
もちろん、個人差はありますが完璧に読みこなしていた生徒さんはこれまでにいたかいなかったか、というレベルですかね。
無論、大人ですら難しいですし私だって間違えますから一概にどうこうではありませんが。
それにしても子どもたちは突っかかることが多いですね。
と、ここまで来て、『それは子どもなんだから仕方ないだろう』と思った方。
そうなんです、そうなると出てくるのが『読書習慣の低下』なんじゃないですか。
圧倒的に言葉、いえ、文とのふれあいが少ない。
つまるところ、単語を知らなければ、語彙がなければ、文は読めません。
単語だけを辞書で調べる方なんてまずいないでしょう。
一時期、広辞苑の分厚さと語彙の多さにテンション上がってこれを愛読書にする!!なんて阿呆なことを言い出してみた時期が私にもありましたが、5分と持たずに挫折しましたね。
若気の至りってヤツですね。
となると、どこで”言葉を知る”のかといえば、書でしょう。
どの書がよいのか、という話は長年の議論だと思っていますが、個人的にはなんでもいいと思います。
別段、漫画でもまぁいいでしょう。書じゃないですけど。
幼少期は我が家の方針上、ゲームはダメ絶対!でしたので、雨の日などに家の中で遊ぶことはすなわち読書だった我が家。
それなりに読書を嗜んでいましたが、途中から真面目腐って書を読むことに飽きた私は、書店や古書店(とかっこつけてますが、要するにBookoff)にある本を片っ端から読むことにしまして。
ゲームを禁じ、息子が渋々(いうほどには渋々ではなくそれなりに楽しんでた)読書にいそしむようになったのを喜んでいた母ですが、現代小説やら少年小説やら、果てはライトノベルと呼ばれるものに手を伸ばし始めるのを見て、嫌な顔していたのを今でも覚えています。
漫画を読むくらいならもっとこっちを、と様々(今でこそわかる)文学価値、評価の高い本をいやというほど押し付けられたのもよく覚えています(笑)
いや、なにが面白いかって今ではそっちのほうが愛読書ということですがw
話がそれました。
そんな乱読をしていた私ですが、乱読していたからこそ知れた語彙も少なくありません。
ですから、文学的価値がうんたら、という前にまずは何でもいいので読書をすることをお勧めしたいものです。
ただ、単純な話です。
評価の高い文学本は1,2冊で知識が貯まりますが、趣味本や滑稽本などは同等の知識を得るためにその何十、何百倍も読まないといけないだけの話です。
レベルアップするのに、ボスを数回倒すのか、始まりの町にいるスライムを1000匹倒すのかという違いだけです。単純明快!
懐かしいものです、大学に入り上京する際に物置にまで進出していたミステリー本、現代小説、ラノベを数百冊単位で古書店(かっこつけてるだけでブッry)に還元(かっこつけてるだけで売りに行っただけ)しましたよ。
文字通り二束三文でしたがね。
また話がそれました。
兎にも角にも語彙を高めましょという話です。
その語彙を高めるには読書が近道という話です。
面白いもので、語彙が増えるにつれ、その先の語彙修得は加速度的に容易に、且つ、質量が増加していくんですよね。
分からない単語をわかる単語で補完していくうちに知識が増え、どんどんわかるようになり、どんどん知識が蓄積していくんですからね。
さて、とりあえず本日はここまで。
久々の続き物としゃれこもうじゃありませんか。
冬期講習始まっているのでそんなに腰据えてブログも書けませんで、次がいつになるのやら知りませんが…
備忘録として、次は読書の別なメリット、とでも銘打っておきます!ではまた!