絵本と詩と情操教育

すっかり夏らしい気温になりましたね。
教室は空調をきかせているので涼しいのですが、外に少しでも出るとじわっと熱気に包まれるのでおかしくなりそうです、松尾ですこんばんは。

ちょうど、本日小学生の生徒さんが国語の授業をしており(私が担当していたのではなく、横で授業を聞いていただけですが)、そこでスイミーの読解をしていたので本日はこんなタイトルで。

小学校の教科書に採択されていることもあり、スイミーというお話を知らない方はかなり少ないのではないでしょうか。

赤い魚たちの中で一匹だけ黒い”スイミー”が冒険?をするお話ですよね。

小学校当時の私が、実際に小学校の教科書でこの話を知ったのかは、記憶が定かではないのですが…
いかんせん、20年近く前の…あれもっと…?…ことですからね…
いやいや、昨日のように覚えて…みすぼらしいのでこの辺でやめときます…

とまぁ、言ってみたものの、確か絵本で読んだ記憶があるので、絵本で初めて触れたんだと思います。
当時は絵本の作者にせよ、訳者にせよ、さっぱり興味がなかったので気にも留めていなかったのですが、スイミーはもともとはアメリカのレオ・レオニ著なんですね。
まぁ、この作者のほかの作品は浅学な私は知りませんし、それ故に語ることが大してないのですが…

訳者は谷川俊太郎先生なんですね。

スイミー以上に谷川先生を知らない日本人なんていないのではないか、と言っても過言ではないほど、日本では著名な詩人でしょう。

日本で幼少期を過ごしていれば、必ず一度は谷川先生の詩、ないしは、歌詞を聞いたことがあるに違いありません。
鉄腕アトムの歌詞もそうですし、教科書採択された詩なんて挙げだしたらキリがありません。

子ども向けの童謡というと、まどみちお先生も大家ですから、難しいかもしれませんが。

とまぁ、そこから話を発展させて、谷川先生やまどみちお先生のすごさについて滔々と語ろうかと思ったのですが、私ごときが教室ブログで語れるほどの次元ではありませんし、失礼が過ぎるのでやめておきます(笑)

何より、私以上にしっかりと研究されて、しっかりとした文体で書かれている本が掃いて捨てるほどありますので、そちらをご覧いただければ。
なんなら、そんな第三者ではなく、ご自身が書かれている詩集ないしは著作をご覧いただくに越したことはないでしょう!(お気づきの方もいらっしゃるでしょうが、わりと心酔してます。)

じゃあ何を語るのかといいますと、こうした絵本や詩にきちんと触れさせることこそが情操教育であり、幼少期の英才教育ではないかと。

情操教育、というのもなかなか難しいことではありますが、人格形成のための教育、とでもとらえていただければ。

あくまで個人の意見ですので、それを踏まえていただきたいのですが。

昨今、情操教育だ、英才教育だ、と様々な教材や書籍、教材がありますが、最高の教材の一つにこうした詩集や絵本があげられると私は思います。

わかりやすい絵本から例に挙げていきますが、絵本の大半は絵です。文字通り当たり前なのですが(笑)

しかし、絵であらわされたものを読み解くのは実は難しいことです。

動物の中で唯一人間だけが使いこなせる”言語”すなわち”文字”には、非常にたくさんの情報が扱え、それゆえに人間がここまでの発展を遂げてきたことは、これまた語るまでもなく自明のことです。

しかし、絵本に文字はほとんどない。
つまり、得られる情報の大半は絵から、ということになりますよね。
もちろん、絵というのも重要な情報伝達ツールです。ですが、文字ほどの情報量は”ふつうにみれば”ないわけです。

逆説的に言えば、絵というのは受け取り手次第で様々な解釈をすることができる、ということでしょう。

受け取り手がきれいだと思えばきれいなものに、苦手なものと思えば苦手なものに、同じ絵を見ても受け取り手の数だけ様々変化をするわけです。
そして絵本の受け取り手の大半が、”まだ一人では読めない乳幼児”でしょうから、”読んであげる大人”がいます。
ですので、その”大人”の読み方が何よりの情操教育ではないでしょうか。
むろん、そこで”押し付け”をしてしまっては、それは情操教育ではなく、ともすれば教育ですらない”強要”になってしまうのは要注意です。

”受け取り手の子ども”の感性を尊重しつつも、美醜清濁、義不義、そういったあたりをしっかりと伝えることが大切ですね。

加えて、絵本のすごいところは、読み聞かせをしてあげることで、乳幼児の言語発達にも寄与できること。
言葉の抑揚や、発音、ものによっては感性までしっかりと磨けるわけですから本当に素晴らしい!

子育ての経験のない私には目からうろこだったのですが、生後半年たらずからもう絵本は読み聞かせしてあげるといいそうですね。
ぼんやりでも耳や目などの感覚が使えるようになったら、絵本を読んであげていいそうな。
もちろん、歳にあった絵本を選んであげることが大切ですけどもね。
生後4か月足らずの甥っ子に絵本を読もうとしている私の両親(甥っ子から見て祖父母)に「いやいやまだ早いでしょ(笑)」と言ったら、「もう見えてるし聞こえてるんだから」と諭された結果知ったことなのですが…
にしても、私の母の絵本の読み方は尊敬に値するものでした。
月齢が低いため、大半が擬音ですが、擬音一つ一つの読み方、赤ん坊に動作を合わせてあげる仕草、伊達に歳は取ってない、亀の甲より年の劫、なんて思いながら学ばせてもらいましたね…
(母が見たら怒りそう

とまぁ、詩集の話からだいぶそれて絵本ばかりの話になりましたが…

ここから今度は詩集について。

これまでの話を踏まえて、じゃあ詩集は文字通りじゃないか、と。
その通りではありますが、論説や小説に比べたらはるかに文字が少ない。

そして、こちらはどちらかというと、音の教育、言語独自の音の教育、になるのではないでしょうか。

ここで再プッシュしていきますが(笑)、谷川先生の詩を見てみてください。
特に童謡などで用いられるような詩や、幼児向けの詩を!

言葉遊びに過ぎない、と、バッサリと切られてしまってはどうともないのですが…

でも言葉遊びでも大いに結構!
あいうえお、の50音の音からたくさんの日本語を学べる、というだけでも大きな価値ではないでしょうか。

 

かっぱらっぱかっぱらった

とってちっていた

かっぱなっぱかった

かっぱなっぱいっぱかった

かってきってくった

『かっぱ』(1973年) 谷川俊太郎

そして詩は、情景をとても短い言葉で簡潔に、かつ、きれいに描いています。
情景を千の言葉、万の言葉で表すのは努力すればできますが、簡単な言葉で表現しようとすると、多くの日本語を知り、そしてその多くの日本語の意味を知らなければできません。

それが集約されているのが詩ではないでしょうか。

情景を想像する力を養うと同時に、日本語の語彙、原義などまで網羅できる、すばらしい英才教育ではありませんか!(笑)

 

先述のとおり、私はまだまだ無知が過ぎるのが、有名な詩の読解をうまく説明することができません。
ですが、有名な詩を読むと心打たれる、そういう感覚だけは覚えることができます。

有名に過ぎますが、二十億光年の孤独、は心動かされますよね。

それこそ、情操教育が不十分なのか、この感動を短く的確に表す語彙力もすべも知らない私は文字通り歯がゆいばかりなのですが…

 

さて。

仕事の合間合間にパソコンの前に戻ってきてはカタカタしてたもので、なかなかどうして話が支離滅裂となってしまい、読みづらくて申し訳ないのですが…

 

とにもかくにもです、なにも難しい本を与えることや、高い電子教材を買い与えることは情操教育やら英才教育やらとは合致しない、と言いたかったわけです(わかりづらい

子どもにとって一番の初等教育(小学校という意味ではなく、文字通りの意味で)は、親御様が子供に寄り添い、日本人にとって最も親密な日本語を、身近に親しませることではないでしょうか。

あ、周知の事実だとは思いますが、幼少期からのバイリンガル教育はやめましょう。

日本語の発達が遅れるそうですよ!

 

そして、情操教育は(主に年齢的に)難しいですが、小学校以降の学校教育でお困りの方はぜひ当校へ!

とまぁ、取って付けたかのようなPRをして本日はこの辺で。

夏期講習期間中はなかなか忙しいのでこうした支離滅裂な記事が増えるやもしれませんが、どうか温かい目で見守ってください…(とか言ってるわりに今日は長文書けた!

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。

CAPTCHA